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私たちにとってのお客様とは?

我々にとっての顧客とは誰なのか? by ピーター・ドラッカー

 

企業の存在意義を定義する上で、自分たちの顧客像を明確にとらえることは重要なことである。詰まるところ誰に売っていいかわからない商品は例え売れたとしても再現性がない。つまり売れたからラッキー!の世界で終わってしまい、継続的な売上にはなかなかつながっていかない。

 

農業とりわけお米業界に限って言えば、最終的な顧客は一般消費者であり、間接的に外食、中食産業となる。農家が作ったお米を卸が精米販売し、小売店が販売するか、レストランやお店で調理し提供する。あたりまえのことだが、果たしてこのサプライチェーンの最上流にいる農家は最終顧客像をしっかりとイメージできるているだろうか?もしくは意識できる環境に置かれているだろうか?

「農業」「農家」という言葉をマスメディアが取り上げるとき、その報道の多くが「農家の収入をあげる!」「農業を成長産業にする!」という言葉が飛び交う。一般消費者も含め、農家は汗水垂らして大変な思いをして農作物を生産しているので、「保護されるべき守られるべき存在」として取り上げられる。まさに士農工商の封建時代をそのまま引きずっているように思われるこの概念は、長らく国の旧食管法の下、減反政策を維持し、生産量を調整するかわりに農家に手厚く補助金を交付する形で息づいてきた。

国や行政、はたまた農業に関連する企業、コンサルティング会社も含め、その大半の目が向いているのは「最終顧客」よりも「農家」「生産者」の生活であるように思われる。政治家は農業政策を通じて「一般消費者」の享受する価値を最大化する、とは語らない。農業政策の最終受益者は「一般消費者」にもかかわらず、語られるのは「農家」に向けてである。
 地方自治体や農協はどうであろう? ここ数年、ある県知事が一生懸命新しい「品種銘柄」のお米をPRしていた。また他の県も新しい極食味米としておいしさをアピールしていた。今日本国内で盛んに競争している高級米ブームは誰のためのものだろうか? 普通のお米が5kg1500~2000円ぐらいで販売されている中で、高級米は2500円以上という値がついている。
ある地域では長年、お米の品質がBからAぐらいであったが、初めて特Aをとったとニュースで取り上げ、「ブランド米」開発の際の苦労話がされていた。農家の涙ぐましい努力により品質が向上していることは特筆し称賛すべきことであるが、ことそれらの動きをマーケティング的に俯瞰した場合、最終的な目的がぼやけてくる。事業の最終目標が仮に「顧客の創造」だとしたら、現在の高級米開発ブームの目標は「富裕層をつくる、増やす!?」ということなのだろうか? もしくは一般消費者に品質が高く、そ・し・て価格も高い商品を購入させ、結果として生産者である農家の収入を上げる! ことなのだろうか? 前者だと明確に語る人は限りなく皆無だとしても、後者だとしたら、これらの事業の目的は「収入が高い農家の創造」ということになるだろう。一般消費者はあくまでもこの事業目的のための手段としかなりえない。これは極論であろうか?

昨日参加した米マッチングフェアにおける業務用米の講演において、現状外食、中食向けに160万トン程度の業務用米の需要があるが、価格帯を選別すると約40万トン程度、低価格帯のお米が不足していると資料が提示されていた。お米の需給的には問題ないが、業務用米というカテゴリー(低価格帯)に絞ると需給が逼迫されている状況が説明されていた。

つまりお米の生産量全体としては、人口減少による需要減によって生産量も下降し、需給が落ち着いているが、用途別さらに業務用に限ると低価格の業務用米需給が逼迫している、ということだ。消費者も無関係ではいられない。知らないうちコンビニやスーパーで買うおにぎりやお弁当のお米の量が減ったり、価格が上がったりしているのだ。

つまり需給のギャップが起きている。

増え続ける高級米と増えない業務用米の生産量。中食、外食の成長によって業務用米のニーズが高まっているのに、生産現場は高級米路線。このミスマッチのそもそもの根幹にあるものはなんなのか?

農家サイドの言い分も理解できる。低価格のお米を作付けしても作業量は増えるが収入は増えない。少ない労力で最大限の利益をあげるには高単価のお米を生産し販売することが、経営的には理にかなっている。

だがそれは最終受益者である一般消費者に支持されて初めて成り立つもので、一方通行の生産販売はやがて需要減という形でしっぺ返しに農家に戻ってくる。

今一度私たちはこの質問に立ち返る必要がある。

「我々にとっての顧客とは誰なのか?」

 

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